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スペイン政府公認 在スペイン日本人通訳協会
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明けましておめでとうございます。



今年も宜しくお願いします。

AIN 日本人通訳協会 会員一同

 写真は、南スペイン、コスタ・デル・ソルのマルベージャ在住の協会員が
送ってくれた元旦の日の出です。

彼のブログをご紹介します。

 : http://alandalus.blog13.fc2.com/






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スペインのクリスマスは1月の6日まで続く、上の写真はマドリッドの中心、最も下町的なソル広場.





プラド美術館のあるプラド通りの夜景



シベレス広場




シベレス広場の市役所の建物


マドリッドの中心、sol広場の地下鉄駅は随分と昔から有るが、最近そこに長い間の工事の末、近郊電車の駅も出来た、それを使うと、8キロ程のchamartin駅までが二駅、私の住むところは一つ目の駅nuevos ministerio(そこまで数分)そこで乗り換えで二つ目、実に便利、chamartinは長距離及び国際列車の出るところ。。。地下鉄、近郊列車に関してはヨーロッパの中でもかなり自慢できるものではないかと思います。
ベルリン

ベルリンに関しては2008年に沢山写真をいれていますので、それを参照。

ホテルは去年と同じ、ベルリンの街の中心のアレクサンドラ広場にあるpark-inn
ホテルに近ずくと不思議な光景が見られた。最初はガラスを拭いているのかと思い、大変な仕事だなと同情していたら、翌日、気が付いたことですが、なんとロッククライミングではなくビルデイング、クライミング。39階だての建物を1回ずつ降りていくのと、一息で下まで飛び降りる2種類が見られました。拡大しないと人が見えないので、拡大して見てください。












33階の私の部屋から見たベルリンの街





ベルリンの壁は今年になって新しく塗り変えられていました。この絵を見て変なこと想像しないでください。ロシアのブレジネフと東ドイツの党首ホネッカー、二人はホモの関係ではなく、ロシア風の挨拶をしているのです。



我々のホテルのすぐ後ろに見えるこの高いテレビ塔は1965年から1969年にかけて作られたもの、昔の東独に位置しているわけですが、その時代西独には1926年に作られたテレビ塔がすでにありました。1年間の365日にちなんで365メートルの高さにするつもりが結果的には368メートルになり、その時代世界で2番目に高い塔と言われたようですが、一番というのはモスクワ。。モスクワに遠慮して少し低くしたようです。



クーダム通

長さ3.5キロ、幅、50メートのマドリッドのグランビアとセラーノ通りを混ぜたような賑やかな通りで、沢山のカフェテリア、レストラン、ブランド店、百貨店の立ち並ぶところ、黄金の1920代はその一郭のカフェは画家、ボへミアン、の根城、商談の場所ともなったところ。



奥に見えているのは、虫歯と言うあだ名の19世紀に作られた皇帝ウイルヘルム教会、故意に第2次大戦で破壊されたままに残されている



そのクーダム通りで二匹の雌の熊の像を見た。ベルリンのシンボルなのだ、雌熊
がマドリッドのシンボルとばかし思っていたら、意外とベルリンでも、そもそも
雌熊をドイツ語でべリンと言う、そこからベルリンと言う都市の名前が始まったようだ



ベルリンの街の心臓部をシュプレー河が流れている、遊覧船が有るのは知っていたけれど、なんだかおのぼりさんみたいで過去2回は避けたけれど、今回はツアーに込まれており、しかもその後が昼食なので、乗ってみたがなかなか良かった、乗り場の後ろに見えているのはベルリン寺院、ドイツも何処の街にも寺院、教会が多いが勿論殆どがプロテスタントと言うところが良い、カトリックの国にかぎって街は不潔で泥棒が多い。何故だろう。

ハンブルグ

ビートルズがまだ売れない頃この街に居たことご存知?



昼食はビール製造会社経営の穴倉風のレストランでもっともテイピカルなドイツ料理
ドイツ滞在中どんなにビールを飲んだ事。







リューベック

ハンブルグから北東55キロ、バルト海南西部のリュウベック湾に面する海港を有する港湾都市、ハンザ同盟の盟主として栄え、造船産業などでも栄えた街、トマス、マン、ビリーブラントの生地。旧市街はユネスコの世界遺産に指定されている。

まずは15世紀後半、街の防衛の為に造られた、壁、3.5メートルの
ホルステン門をくぐって旧市外に入る







Haus der Schiffergesellschaft
船主達の家、別名水夫達の家と呼ばれ、今はレストランになっている。









マルクト広場の支庁舎の建物





白い建物の後ろに緑のとがった屋根を見せているのが、マリエン教会





裏通り







街の縮図



トーマス、マンの小説の舞台となったブッデンブロークハウス

彼の祖父母が住んでいた家で今はトマス、マンと彼の兄ハインリッヒ、マンの博物館になっています。



中は撮影を禁止であるのを知らずに一枚だけ写真を撮り、礼儀正しく、紳士的に注意され、私も素直に誤りました。



マルクト広場の近くの賑やかな通り、この通りの一郭に大きなカフェテリア件お菓子屋がある、ここで有名なのがマサパン、マサパンはスペインのトレドの物と思いきや
ドイツにもあるのでビックリした。どういう経由でマサパンがこのドイツで作られるようになったのか?お店屋さんのパンフレットを貰ったが、ドイツ語だけで書かれていて解らなかった。そう言えばハンブルグのお菓子屋でもマサパンがあったけ。



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