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スペイン政府公認 在スペイン日本人通訳協会
ニュウルンベルグと言うと、まず頭に浮かぶのは、マキシミリアン、シェルが主役の映画 ニュウルンベルグ裁判です。10数年前に友達とシュツトガルドから鉄道で行き、旧市街が駅の目の前にあるのも知らず、タクシーを拾い乗って気がついたけれど、今更、降りるのもタクシードライバーに(ドイツはタクシーはすべてベンツでポリスの車はbmw)わるいので、そのまま街中を案内してもらった、ドライバーの特別サービスで、普段、観光では決して案内しない、飾り窓の女達のいる通りも見せてくれた。 実際は非常に中世的な美しい街。(ドイツの街は何処も美しいけれど)ドイツロマン派にとって非常に重要な意味を持つ街なのだ。ワグナーの楽劇、ニュウルンべルグのマイスタージンガーのモデルになる人物の生まれた所、画家、ヂューラーが生まれた場所でもある。 有名なニュウルングンベルグ裁判の行なわれた裁判所、戦争犯罪人として死刑の判決を受けた、9人の人々の写真をガイドさんが見せてくれた、その中の一人は服毒自殺をはかった、各独房にMPの見張りがついたにも拘わらず、いかにしてその毒薬を手にいれたのか? 高台から眺めたニュウルンベルグの街、数年前にアメリカ人の観光客を案内したとき 一人、車椅子の老人がいた、高台から街を眺めていた老人が泣きながら叫んだ、戦争の時、この自分がこの美しい街に爆弾を落としたのだと。。。ガイドさんは思わずもらい泣きをしてしまった、戦争の悲劇、軍人として、上から命令されれば、自分の義務に従わなければならないのだ。。。そのときガイドは何処にいたかと言うと、自分の家族はユダヤ人ではないけれど、仕事を求めて、メキシコにいたと言う話。 これから城壁ないに入っていく。。 デユーラーの家、正面 突き当たりの建物はレストランで去年、夕食をしたところ PR
去年、なんの知識もなく、ポンとこの街にバスから降された時、この街の重厚さに強烈なインパクトを受けた。マイセンから25キロ、ザクセン選帝候の宮廷都市として12世紀末から栄えた街、軍事的には特に重要性のないこの美しい街が第二次大戦の末期、1945年の2月13日から14日かけて、イギリスとアメリカ軍が無差別攻撃を行い町の85%を破壊する、ソ連軍の進撃を空から応援すると言う名目で、戦略的に意味のない空襲であり、国際法にも違反している、ナチスの空襲を受けていたイギリス国内でも批判の声が起こった。終戦後はロシア側の支配下に入り、1989年、東西統合までは東に属していた。私の見た建物は戦後及び東西統合の後に復元したものだが、黒ずんで、苔むした、青銅の屋根を持つツインガーー宮殿はまさに昔そのもの姿を残している。現在は建物の殆どがオペラ座、博物館、美術館として使われている、あれだけ爆撃され、ほぼ廃墟となった街を昔さながらの姿でここまでやると言うことは、ドイツ国民に深く敬服する。
オペラ座、手前はザクセン王ヨハンの騎馬像 ツインガー宮殿内の磁器収集室のマイセンの磁器 歴代君主馬上行進図、マイセン製磁器のモザイク、ザクセン国を支配したべツテイン家出の君主連が描かれている
世界で最も小さく、最も文化的な街、街全体がユネスコの世界遺産、ゲーテ、シラー、クラナーハ、バッハ、リスト、二ーチェの街。。。。。
まずはゲーテとシラーの銅像から始めます、夢見がちが顔をしているのが、シラー、これを言っていたのは、旅の仲間の17歳の少年。 クラナーハ 1472年ー1553年、1500年頃よりウイーンで活動始めたドイツ、ルネッサンス派の画家、その後、ウイッテンブルグに招かれ移住、なくなる前の数年を過ごしたのがこの家。 ゲーテの家 リストの家 シラーの家 お花屋さんが一杯の支庁舎前の広場 芸術の都のワイマールで私はお土産に玉ねぎを買った、この土地、特産とのこと、ともかくも、街を歩くとやたらと薬草植物、及びをその種を売っている店が多い、今はやりのアロエ、ギンゴ。。。。。
大都会、ベルリンを3日間動き回って、身も心のつかれきった頃、この小都市エアフルトに着いてホットする、昔はヨーロッパの交通、交易の要所として繁栄した街、マルテイン、ルターがここの大学で学んだ場所でも有ります。
最初にこの街の名物、クレーマー橋をご紹介。橋上の両サイドにお店があるのは フローレンスのポンテ、ベキオににています。 この橋上のなかで見かけたマイセンの磁器のお店、日曜日で店が閉まっており、ウインドウから写真を撮る、残念ながらこの写真では値段が見えませんが、当然の事ながら非常に高いです。 橋を外側から見ると 可愛らしい街であちこちに花が見わたります。 街をぶらぶら歩いて、食品店に入ったら、なんと日本のお寿司が売られていました。 魚市場広場、多分、昔、魚の市が開かれたのでしょう。 黒い角の家、どうってことのない建物で今はバールになっていて人々はテラサで コーヒーやビールをたのしんでいるけれど、昔、ルターの仮綴冊子が4冊、彼の最初の賛美歌の本も印刷されたと言うところ。 クレマー橋に入る手前の広場 手当たり次第に動き回って出会った通り |
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