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スペイン政府公認 在スペイン日本人通訳協会
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世界で最も小さく、最も文化的な街、街全体がユネスコの世界遺産、ゲーテ、シラー、クラナーハ、バッハ、リスト、二ーチェの街。。。。。
まずはゲーテとシラーの銅像から始めます、夢見がちが顔をしているのが、シラー、これを言っていたのは、旅の仲間の17歳の少年。


クラナーハ 1472年ー1553年、1500年頃よりウイーンで活動始めたドイツ、ルネッサンス派の画家、その後、ウイッテンブルグに招かれ移住、なくなる前の数年を過ごしたのがこの家。



ゲーテの家



リストの家



シラーの家



お花屋さんが一杯の支庁舎前の広場



芸術の都のワイマールで私はお土産に玉ねぎを買った、この土地、特産とのこと、ともかくも、街を歩くとやたらと薬草植物、及びをその種を売っている店が多い、今はやりのアロエ、ギンゴ。。。。。

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大都会、ベルリンを3日間動き回って、身も心のつかれきった頃、この小都市エアフルトに着いてホットする、昔はヨーロッパの交通、交易の要所として繁栄した街、マルテイン、ルターがここの大学で学んだ場所でも有ります。

最初にこの街の名物、クレーマー橋をご紹介。橋上の両サイドにお店があるのは
フローレンスのポンテ、ベキオににています。



この橋上のなかで見かけたマイセンの磁器のお店、日曜日で店が閉まっており、ウインドウから写真を撮る、残念ながらこの写真では値段が見えませんが、当然の事ながら非常に高いです。



橋を外側から見ると



可愛らしい街であちこちに花が見わたります。



街をぶらぶら歩いて、食品店に入ったら、なんと日本のお寿司が売られていました。



魚市場広場、多分、昔、魚の市が開かれたのでしょう。



黒い角の家、どうってことのない建物で今はバールになっていて人々はテラサで
コーヒーやビールをたのしんでいるけれど、昔、ルターの仮綴冊子が4冊、彼の最初の賛美歌の本も印刷されたと言うところ。



クレマー橋に入る手前の広場



手当たり次第に動き回って出会った通り



7月のある土曜日の朝7時過ぎのマドリッド、人っ子一人か車の姿さえ見渡りません、7月でこうなのだから、8月のマドリッドは想像がつくでしょう。



トレッキングの始まり。





奥に見える岩山の上の建物はカステイージャ王国建国の父、fernan gonzalez がいたと言われる要塞。





この辺からお天気がおかしくなる。







ここで我々は行き止まり、ガイドは必死になって道を探す、お客の方も協力して
道さがし、我々の頭上ではハゲタカが我々の死体を食べる準備をするがごとく不気味に頭上を飛び交う、仲間はパニックに落ちることなく、冗談を言いあって、ゲラゲラ笑う、ガイドからこちらの来るようにとの合図が有り、険しい砂利道を降りていく、私は転ぶ前に最初から御尻で滑っていく、危険を冒してやっとついてみたけれど、やはりその先に道がなく又今まで来た道を戻る、雨が激しく降り始め、ただでも目の悪い私は殆ど前方が見えないままに歩く、皆カラフルな格好していてくれるのが救いだ。やっと目的地に着いたけれど、後は川を渡らなければならないのだけれど、いつも通れるところが、雨で水の下に隠れてしまい、川を横切るしか方法なし、一番トロイ私が最初に水に入り込んだ、さすがスペイン、すぐナイトが現れて、腕を貸してくれた、でもなければ、並行感覚がなく、目の悪い私は藻草にひかかって無残に水の中でひっくり返っていただろう。







トレッキングの帰りにこんな中世的な村に連れて行ってくれた、とても美しい村だったけれど、着ている物がびちょ、びちょにぬれていたので、寒くてたまらなかった。





中世とさくらんぼ祭りと言うことで、取立てのさくらんぼが売られ、村の人は皆中世の服装をしていた。


ブルゴス県内のある村の廃墟となった修道院跡











修道院の外側にはこんな雑草が沢山咲いていた。



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