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スペイン政府公認 在スペイン日本人通訳協会
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都会から離れて、ピレネーの裾野の山の空気でも吸おうと思い、良くパンフレットを読まずに旅の申し込みしたら、なんと、なんと、ロマネスク巡りでした。怠け者の私の旅の目的は素敵なホテルに泊まり、美味しいものを食べて、美しい景色をみることなのですが、まあーなんと、ロマネスクの教会、寺院、絵画、彫刻と、私にとっては大変なお勉強の旅でした。私の狭隘なる脳裡に残ったのは、バルセロ-ナのモダン派の建築家とキュ-ビズムの画家達に影響を与えたのが、初期ロマネスクの建築物及び壁画、とのこと、初期ロマネスクの教会の納骨堂の柱及び天井をみていると、ガウデイのグエル公園及びコロニア、グエルの柱、天井が思い浮かばれ。。壁画に出てくる牛の顔はまさにピカソのゲルニカに出てくる牛の顔と同じなのです。どんな天才もやはり、必ずネタがあるものなのですね。。なんであんなものが頭に浮かび上がるのか、ただただ感心していたのですが。。。。
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レリダ県のある街、この写真の突き当たりの右に司教区博物館というのがある、8世紀にSanto Toribio de Liebana の 修道僧 ベアトによって書かれた、ヨハネの黙示録の解説書があっという間にあちこちで写本され、そこにロマネスクの挿絵が施され、スペイン国内、及び、西欧の重要な図書館の棚を飾るようになる訳ですが、4年前に〔私が旅したのが2005年の九月)Seo de Urgellの司教区博物館の写本がぬすまれ、最終的には警察が介入して無事もどされたわけですが、ページが1枚ぬけていたそうです。それを盗んだのはロマネスク美術の収集家の精神科医とのこと、勿論、自分、自らの手でぬすんだのではなく、若者を雇ってやらせたわけですが、その若者達は監獄に入ったようですが、張本人はどうなったが?私が聞き落としたのかわかりません、旅が終わった数日後、旅で知り合った女性が盗まれた写本に関する講演会があることをメールで知らしてくれましたけれど、私は用事があっていけなくて残念でした。


レリダ県のある奥深い村、案内人がいなければ、だれも行き着けないような所にこんなロマネスクの教会があった、スペインの北は勿論あちこちにロマネスクの教会があるわけだけれど、これは個人がこの土地を買って、寄付金で何十年もかかって修復したそうで、修復師も側にいました。もう60代も後半という感じの人(勿論、彼一人だけではなく沢山の人々が従事したわけですが、その様子を白、黒の写真でみせてくれました)そのアルバムを我々にみせるべく、案内人が村まで取りに行くの40分以上またされましたが、だれも、いらいらする事なくのんびりと待っていました。私に日本人かと聞くので、そうだと答えたら、日本人も時々来る事とのこと、日本人って凄いもんですね、こんな小さな村のしかも人里離れた所にあるのに、ガリシアのルーゴのermita(此処も人里離れたところ)そこにも日本人が来るって案内のermitañoが言っていました。

スペイン人の生活の質もこの30年で随分と向上したものだ。当時は車自体も少なかったが日本の解体屋に行っても探すのが難しいようなボロ車が堂々と走っていたものだ。もっともこれには当時の国策もあって輸入するのはまず不可能で日本車を見るのも珍しかった。極くたまに日本車があると注目されたものである。車ほど効果的な移動広告塔は他にない。カッコいい車、リッチな車を見れば欲しくなるのは人情だ。極端な話オープンカーでgran via(マドリッドの大通り、繁華街)なんかを走れば目立つこと受け合い。それに美女を乗せてれば注目の的。映画の主人公気分にさせてくれ自己顕示欲を満足させてくれることになる。これが家となると豪邸を万人に見せびらかすのは(値段の面でぜんぜん違うが)難しい。車が庶民の夢たる所以である。それにしても高級車が最近とみに増えたように思える。カッコウを気にするスペイン人の中にはだいぶ無理してるのもいると思える。よく日本から来た観光客の方々から「こちらは小型車が多いですね」と言われることがある。たぶん道路が広いので相対的にそう見えるのだろう。逆に日本に行った西洋人は日本の車はおもちゃみたいだとよく言う。多分、軽のことだと思うが、こちらは車は車であって軽と言う言い方はない。ともかく特にドイツ系の高級車が多くなった。スペインの経済発展の象徴に間違いないだろう。たまにかなりのオジンとか、かなりのブ男が超美女を超高級車に乗せて見せぶらかせて走っているのを見ることがあるが、その逆はまだ見たことがないがこれはどうしてだろう。  ゴルド


サンタンデール市がサンセバスチアンに張り合って、観光のプロモートも含めて、アルフォンソ13世に20世紀初頭に贈った宮殿、その後共和制に入り、王様はイタリアに亡命。。。その後もずっと王家のものになっていたものが、息子のドン、フアン、デ、ボルボンがサンタンデール市に売ったとのこと(もともと貰ったものなのだから、何故タダで返さなかったのか解らない)その後、国際大学の建物として使われている、暇はあるけれど、お金があったら、こんな所でもう一度、スペイン語の勉強をやり直したい。


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