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スペイン政府公認 在スペイン日本人通訳協会
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この対岸まで来るのに、物凄く苦労した、ホテルの人にどう行ったら、湖に近ずける?って聞いたら、ホテル出て、左に2キロ行けば湖に行けるとのこと、5キロ歩いても湖には出なかった、諦めて、来た道をホテルに向かって戻る、時々、車が通るだけで人が歩いている姿なし、街道を走る車は皆、物凄く飛ばしている、何時死んでも良いのだけれど、自分が死んでも良いと思う時に死ぬのは構わないけれど、自分の意志に反して、車にぶつっけられて死ぬのはいやだから、車が通る度に停まって脇にそれた、ホテルに着く2キロ手前あたりに右に降りていく道がある、この道かな?でも物凄く寂しげな道で狼か熊でも出てきたらどうしよう。。。。でもこのまま引き返すのも悔しい。。命がけ?で歩き始めた、途中1台の車がとまった、近寄ってドライバーの顔をみたら、善良そうな顔だったので、この道は湖に通じるか聞いたら、行くとのこと、で自分もそちらに行くから車に乗れとのこと、一瞬、躊躇する、人は見かけによらないという事もある、私は車にのったけれど、疑心暗鬼、翌日、森の中で老婆の遺体発見なんてことにならないとも限らない。。でも無事でした。湖の対岸から見たパラドール。。。。翌日同じ場所に一人で歩いてみたら、往復で約1時間強、片道5キロはあったと思う bubuyone
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昔からすべてのパラドールを征服するのが夢で、お茶だけ、っていうのも混ぜれば、もう70件はこしている、この、Cervera de Pisuegraのパラドールは前からちょっと気になっていたところ、でも車の運転をしないものにとっては、物凄く、不便なところ、全然、動きが取れない、2泊は長すぎた感じ、鉄道の場合、MadridからAguilar de campoo まで、直行で(サンタンデール行き)3時間50分、公共交通機関は皆無に等しいので、
タクシーしか方法がない、駅からAguilar de Campooの街までが約4キロ、Cervera de Pisuegra のパラドールまで23キロ。。テラスからの湖(pantano)を眺めるのは1泊で充分。。その後は湖と牧場を眺めなら、Potesまで行き、そこでお昼でも食べて、Fuente Deまで行ってしまったほうが良いのでは?。。私はなにをしていたかと言うと、ボルンタリオのお兄さんと、周辺の山歩きと車での3つの湖の周辺のドライブ、そしてPotesまでもいきましたが、プロではなかったので、満足感がありませんでした。気を遣ってお礼を沢山あげすぎてあとで後悔。やはり旅はちゃんとしたガイドがいないとつまらない。BUBUYONE

ヘレスの国鉄の駅、これが本当に駅なのかな?と言う感じだ。日本の街道筋にもこんなアラビアンナイト風の建物が時々あるが(もっと色がケバケバしいか)アンダルシアの駅もこういうレトロ調がだんだん少なくなっている.SEVILLAもCORDOBAも超近代的建物になってしまった。MALAGAもそうなるだろう。

ヘレスとセビージャの間で初めて飲食類の車内販売を見た。トルコからインドに旅した時の汽車の中では売り子が押し売り同然に夜中までやってきて閉口したが全く来ないというのもさびしい話でスペインでは今まで私は見なかった。スペイン風サンドウィチ(BOCADILLOと呼ぶフランスパンにハムとかスペイン風玉子焼きなどをはさんだ誰にでもできる簡易食)ポテトチップ、冷たい飲み物などだが誰一人として購入する人はいなかった。可哀想になったがパサパサのパンをかじる気にはならなかった。せめて暖かいコーヒーでもあれば買ったのだが ...ANDALUCIA,EXTREMADURA人は商売っ気がなくていかん。彼らが大挙して南米に渡ったわけだから流通経済が育たないはずだ。若しこれが地中海貿易で鍛えられたカタラン人(バルセロナを中心とした地方の独特の、言葉も違う文化圏の民族)だったら随分違っていただろう。しかしカタラン人の移住は禁止されてしまった。怠け者と烙印を押されたアンダルシア人だがその底抜けの明るさはアイデンティティーであり文化でもある。通常われわれ日本人を含めて外国人がスペイン並びにスペイン人についてのイメージというとアンダルシア並びにアンダルシア人のことだと思う。これが観光資源の一つのelemento(要素)となるのだから世の中どう転ぶかわからんもんだ。人生を楽しむと言うことでは最も秀でた民族ではなかろうか  GORDO

すさまじい勢いで経済発展を遂げた[遂げつつあると言った方が正確かな。だいぶ失速気味だが]スペインの正にLoco motor[牽引機関車]だったのがこのAVEである。受注段階でのワイロ発覚などで問題はあったが公共事業での汚職はどこでも東西を問わずつきもの、さして大きな問題にはならなかったようだ。面白かったのがmadrid-sevilla間を優先したことだ。普通ならスペインの二大都市間つまりmadrid-barcelonaが先だと思う。万博のsevillaよりオリンピックのbarcelonaの方がインパクトも大きいと思うのだが結果はそうではなかった。当時の大統領フェリッペ、ゴンサレスはsevilla出身なのだ。そして次に登場する保守系の大統領アスナールは自分の出身地valladolidとmadrid間の新幹線計画をぶち上げもうすぐ開通すると思われる.barcelona間の方はどうかと言うと92年に開通してないといけないのがいまだ全線開通していない。政治駅というのは日本独自のものではないようだ。しかし実際に乗ってみて余り速いとは思えない。多分これは風景が流れないからだろう。日本だと住宅が線路の近くまで迫っているし,だいいちトンネルばかりでその豪快な音量が速度を認識させる。地平線の中を走ることの多いスペイン新幹線は何か随分のんびりしているように思えるのではないだろうか   ゴルド


 ゲルニカの町にあるピカソの傑作「ゲルニカ」の陶板画。この街の人々はどんな気持ちでこの街角にある陶板画を見ているのだろうと思いながらシャッターを切った。そのとき案内していた日本人観光客から「この街のお年寄りの人にこの絵についてどう思うか聞いてみてください」と言われ、まったく気が進まなかったが近くに居合わせた老人に聞いてみたら「あの戦争のことはもう思い出したくもないヨ」といわれた。もう一つの陶板画は日本の大塚美術館にもありますね。本物は周知のとおりマドリッドに。。今、マドリッドではピカソ展が2箇所同時開催されており沢山の観光客で連日賑わっている。日本では、今日、長崎で「原爆の日」の式典が行われた。この時期になると「戦争を知らない子供たち」という歌を思い出す(年がバレる(^_^;)・・!)のですが、やっぱりこのゲルニカを見るたびに戦争を知らない、そして言葉の違う世界中の人々にたった一枚の絵で戦争に対する怒りや悲しみを伝える事が出来たピカソってすごい人だなってつくづく思うのでした。  ドゥルシネア



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