スペイン政府公認 在スペイン日本人通訳協会
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 今年はザビエル生誕500年である。徳川時代以前の西洋人では最も良く知られた人だと思う。彼は1506年、写真のザビエル城で生まれている。つまりかなり裕福な家系である。後にロヨラと共にカトリック内の改革運動を進めイエズス会を創設する。そして特にアジア地区の布教のため1541年インドの当時はポルトガル領だったGoaに到着、二年ほど布教活動をやっているがその前にもモザンビークでも足跡を残している。その後インドネシア、マレーなどを宣教しているときに日本人アンジロウと出会い、これが日本に向かうきっかけとなったようだ。1549年(以後良く広まるキリスト教、と中学校時代覚えさせられた)鹿児島に到着、鹿児島、平戸などを布教し京都に向かうのだが、京都は応仁の乱後の荒廃でとても布教どころじゃなく仕方なく山口を中心に宣教することになる。二年と二ヶ月の在日ではあったが日本史に強烈な足跡を残している。彼が送った書簡に日本人の資質のすばらしさを激賛した項がある。当時の日本の庶民はザビエルがそれまで訪れたインド、マレーなどと全く変わらない極貧状態だった。結果的には500年ほど前にすでに先を読んでいたと言うことになる彼もまた凡人ではなかった。その書簡で面白いのは男色が公然と行われていたことだ。男色は文明が高度化されたときの副産物と言われる。戦国時代初期の日本、活気のあった時代のようだ。しかしザビエル、女色( こんな言葉あるのかなあ )については触れてない。知りたいところである。 お城の前にあるBarはGoaと言う名前だった。これが山口とか平戸とかだったらもっと親近感が出ると思うのだが、恋焦がれる恋人にソッポ向かれた気分である。お城内には唯一、布教活動の場面の掛け軸がいくつかあったが他に日本に関してのものはなかったし、売店にも彼の日本での軌跡についての文献もなかった。ちょっと寂しいな ゴルド PR |
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