スペイン政府公認 在スペイン日本人通訳協会
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 コンツエルン、ハウスのコンサートを聴きに行ったら、その前のジェンダルメ広場で クリスマスの市が開かれていました。右側の青銅のドウムを持つ建物はユグノー派の フランス教会で反対側にまるきり同じ形の教会があり、それがドイツ教会、勿論プロテスタント カトリックの国に限って道徳感が低く、泥棒が多いです。ドイツが好きな原因のひとつは国民 一人、一人の道徳感が高い事です。 フランス教会 沢山のクリスマスの市がでていましが、私の一番、気に入ったお店で思い出に私もこのかわいらしい ミニチュアの家を買いました、 ポツダム広場に位置するソニーセンター、この辺は東西を分断する壁の近くに位置していた為、東西が統合した後も長い間、空き地になっていた場所、これが完成したのが2000年、ドイツの建築家、エルネスト、ヤーンの作品で天井は日本の富士山をイメージにした物、夜になるとこの天井の色がいろいろな色に変化する、未来派の建物と言われている。。2000年以前にベルリンを訪れた人々はこの周辺の変わりようにびっくりしている、ソニーセンターだけでなく周辺に沢山の近代的なビルが建ち並び、観光名所のひとつにもなっている。 アレクサンドラ広場で見た、移動、ホット、ドッグ屋 いろいろ考えれば生きる方法はあるもの カラヤンのサーカス小屋というあだ名のベルリン、フィルの建物の外側 ベルリン、フィルの6角形の小ホール、ここでスウィングを聞きました。 あちこちの広場にこんな感じの仮小屋が作られ、中はレストランです。 マドリッドで言えばセラーノ通リにあたる高級ブテイック街の元旦、大晦日の後と言っても この通りに限らず、瓶が転がっていると言う事は有りません。クーダム通り 私の泊まったホテルの近くのヨーロッパセンターと呼ばれる、ショッピングセンターこの中 に日本レストランが有りました。 > 昼は12時から2時、夜は18時から22時、夜は毎日コンサート通い、昼はスペイン時間の 昼食になれた私にとって、そろそろお昼を食べようと思うとき(14時過ぎ)、レストランは 閉まっていて一度も入らずに終わりました。 ハケシュマルクト広場の周辺が旧ユダヤ人街にあたりその一角の建物の内庭のタイルが面白い。 PR
かんかん照りの8月のマドリッドから逃れてドイツの保養地、バーデン、バーデンにいきました。
上はブラームスの胸像、友人のクララ、シュウマンに誘われ、バーデン、バーデンはとても良いところだから来るべきと言われ、1年に1ヶ月、確か10月だったとおもうけれど、ここにに質素な借家をしてすごしたようです。今、そこが博物館になっています、なんと、そこの案内のおばさん、もちろんドイツ人なのだけれど、マラガ生まれでスペイン語が出来ることが最後にわかりました。 ブラームスの住んでいた家の部屋、丘の上に家があり,そこにたどり着くのに、階段を随分登った、、下が大家さんの家のようだ。 この建物の名前はクアハウスと呼ばれ、保養所とい言うような意味がありますが、実際は保養所として使われたことはないようで、中はベルサイユ宮殿を模倣したと言われるほどの豪華なもので平常はカジノとして使われるほか、コンサートもおこなわれるようで、今回はこの建物の前の庭で毎夜ジャズのコンサートが行われていました。 クアハウスの中の部屋のひとつ ドフトエフスキーが最初にバーデン、バーデンを訪れたのは新婚旅行、その後再度の訪問はこの美しい街に惹かれたのではなく、カジノの誘惑に勝てず、この街で多額の借金を抱えた彼はスイスのジュネーブに移り住み、かの地で白痴を執筆し、彼の中毒とも言える賭博から足を洗ったという話。 リヒテンターラーの散歩道 この通りを愛した人物の一人にツルゲーネフがいる、彼は愛人を追いかけてこの地に来たと言われるが、リヒテンターラー通りについて次のように述べている、私が今まで見たこともないような大きくて素敵な木々がここにある、この木の根元に腰掛けていると、まるでその樹液が私の体内にも流れ込んでくるようである。そのことが気持ちよく、私を元気にしてくれる。。。。。。。私も同感。 リヒテンターラー通りにあるツルゲーネフの像 3キロ続く美しいリヒテンターラーの散歩道が終わったところにこの道と同じ名前の修道院があります。一見の価値ありとの事で訪れましたが、1日に1回、3時にガイド付きで中の案内があるようですが、知らなかったので私が着いた頃には案内が終わった後で人々が中から出てきていました。 21世紀のカラカラ浴場、ローマ人も20世紀前に同じ場所で温泉に浸かっていたのです。
ゲバント ハウス。。。。。
ドイツと言うのはクラシック音楽がぴったり合う国
マーラー死後100年を記念してのコンサート
ベルリン
ベルリンに関しては2008年に沢山写真をいれていますので、それを参照。 ホテルは去年と同じ、ベルリンの街の中心のアレクサンドラ広場にあるpark-inn ホテルに近ずくと不思議な光景が見られた。最初はガラスを拭いているのかと思い、大変な仕事だなと同情していたら、翌日、気が付いたことですが、なんとロッククライミングではなくビルデイング、クライミング。39階だての建物を1回ずつ降りていくのと、一息で下まで飛び降りる2種類が見られました。拡大しないと人が見えないので、拡大して見てください。 33階の私の部屋から見たベルリンの街 ベルリンの壁は今年になって新しく塗り変えられていました。この絵を見て変なこと想像しないでください。ロシアのブレジネフと東ドイツの党首ホネッカー、二人はホモの関係ではなく、ロシア風の挨拶をしているのです。 我々のホテルのすぐ後ろに見えるこの高いテレビ塔は1965年から1969年にかけて作られたもの、昔の東独に位置しているわけですが、その時代西独には1926年に作られたテレビ塔がすでにありました。1年間の365日にちなんで365メートルの高さにするつもりが結果的には368メートルになり、その時代世界で2番目に高い塔と言われたようですが、一番というのはモスクワ。。モスクワに遠慮して少し低くしたようです。 クーダム通 長さ3.5キロ、幅、50メートのマドリッドのグランビアとセラーノ通りを混ぜたような賑やかな通りで、沢山のカフェテリア、レストラン、ブランド店、百貨店の立ち並ぶところ、黄金の1920代はその一郭のカフェは画家、ボへミアン、の根城、商談の場所ともなったところ。 奥に見えているのは、虫歯と言うあだ名の19世紀に作られた皇帝ウイルヘルム教会、故意に第2次大戦で破壊されたままに残されている そのクーダム通りで二匹の雌の熊の像を見た。ベルリンのシンボルなのだ、雌熊 がマドリッドのシンボルとばかし思っていたら、意外とベルリンでも、そもそも 雌熊をドイツ語でべリンと言う、そこからベルリンと言う都市の名前が始まったようだ ベルリンの街の心臓部をシュプレー河が流れている、遊覧船が有るのは知っていたけれど、なんだかおのぼりさんみたいで過去2回は避けたけれど、今回はツアーに込まれており、しかもその後が昼食なので、乗ってみたがなかなか良かった、乗り場の後ろに見えているのはベルリン寺院、ドイツも何処の街にも寺院、教会が多いが勿論殆どがプロテスタントと言うところが良い、カトリックの国にかぎって街は不潔で泥棒が多い。何故だろう。
ハンブルグ
ビートルズがまだ売れない頃この街に居たことご存知? 昼食はビール製造会社経営の穴倉風のレストランでもっともテイピカルなドイツ料理 ドイツ滞在中どんなにビールを飲んだ事。 リューベック ハンブルグから北東55キロ、バルト海南西部のリュウベック湾に面する海港を有する港湾都市、ハンザ同盟の盟主として栄え、造船産業などでも栄えた街、トマス、マン、ビリーブラントの生地。旧市街はユネスコの世界遺産に指定されている。 まずは15世紀後半、街の防衛の為に造られた、壁、3.5メートルの ホルステン門をくぐって旧市外に入る Haus der Schiffergesellschaft 船主達の家、別名水夫達の家と呼ばれ、今はレストランになっている。 マルクト広場の支庁舎の建物 白い建物の後ろに緑のとがった屋根を見せているのが、マリエン教会 裏通り 街の縮図 トーマス、マンの小説の舞台となったブッデンブロークハウス 彼の祖父母が住んでいた家で今はトマス、マンと彼の兄ハインリッヒ、マンの博物館になっています。 中は撮影を禁止であるのを知らずに一枚だけ写真を撮り、礼儀正しく、紳士的に注意され、私も素直に誤りました。 マルクト広場の近くの賑やかな通り、この通りの一郭に大きなカフェテリア件お菓子屋がある、ここで有名なのがマサパン、マサパンはスペインのトレドの物と思いきや ドイツにもあるのでビックリした。どういう経由でマサパンがこのドイツで作られるようになったのか?お店屋さんのパンフレットを貰ったが、ドイツ語だけで書かれていて解らなかった。そう言えばハンブルグのお菓子屋でもマサパンがあったけ。 |
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